遠路揚 1132M 2等 満島(満島) 山系・茶臼山 2000.3.5.

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2001.11.4.、袴越山頂から早木戸川流れ来し方に遠路揚。


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起点(大村南端の林道起点)・800>817・鉄塔45>900・鉄塔56・915>948・1070P・1000>1035・アンテナ三叉路>1040・1070mコブ伐採地・1105>1130・点名新野南の無名の峠頂上>1143・点名新野>1250・点名新野南東尾根1070mコブ・1350>1402・点名新野南の無名の峠頂上>1537・起点


 遠路揚は、天竜川の支流和知野川と早木戸川の分水嶺の一座。知る人ぞ知る高原の里新野の東を限り、天竜川から比高800m余り立ち上がっている、大きな山である。天龍村が30年余りかけて開通した林道大久那線がその稜線を通り、その支線が山中に錯綜しているので、これを車で登ってしまえば、登頂はいとも簡単であるが、三角点マニアならともかく、そのことになんの意味があろう。
 この山は、そんなことでルートを工夫し、大村は南端の枝林道起点を起点に、尾根を東に登って1070Pに至った後、稜線を北上して登頂。山頂南の破線は、一部健在であったので、帰路はこれを使って大村に降りた。
 大村826P西の四叉路から南約500mの枝林道の起点から歩き始め、送電線の巡視路でまず鉄塔45。雑木林の中、ここで巡視路を離れて尾根を東に登ると、あちこちで春を告げるマンサクが咲いていた。少し窪んだ道に出ると、別の送電線の鉄塔56を通過。やがて右眼下に林道の延長が覗くようになると、滑らかな落ち葉の林床の1070P。
 これを東に越すと、その林道に出て、白き大連嶺南アルプスへと展望が広がった。尾根線にこの林道を行くと、やがて梨畑からの林道大久那線に出合い、僅か先、アンテナが建つ三叉路で阿南、天龍の境界尾根に取り付くと、1070mコブの新野側が伐採されていて、展望が広がった。千本立は雪を被ったせいか、アルペンチックな風貌で、右に並ぶ丸山は、蛇峠山を背負ってボリュームたっぷりの大山塊。そして眼下には、美しく新雪に覆われた新野の家並みと田畑。
 鞍部からコブを左から巻き、次のコブは右から巻くと、無名の峠頂上で四叉路。連続して四叉路を通過し、ブナ大木脇から一段急登すると、そこが山頂で、測量用の赤白ポールが突き立てられて、2等三角点が埋まっていた。北西に少し雑木林。あとはびっしり植林であった。
 北東になお境界尾根を辿ってみたが冴えず、分派する東尾根で林道大久那線に出た。これを右に入って戻ると、山頂からの南東尾根に差し掛かった所で、この尾根に登ってみた。すると1070mコブが広場となっていて、南アルプスへと胸の透く展望が広がった。うららかな春の日差しの下、ここで昼食。
 帰路は、この尾根を登ると、境界尾根で往路の四叉路に出て、これを南に入ると、僅か先で無名の峠頂上となった。四叉路を西に入って雑木林の中を下ると、途中、北側が伐採地となって、間近に下条山脈と蛇峠山が望まれた。やがて勾配が緩むと、地図にない林道の終点に出て、これを辿ると、僅か下方で左から林道が出合ったが、これは稜線のアンテナからのもの。
 新野簡易水道の施設脇から大村に出て、民家点在するのどかな田園地帯を826Pへと向けて下って行くと、右手にモダンな建物と庭。そこに家人を見掛けたので、声を掛けてみた。おじいさんであった。山名を訊くと、「遠路揚だよ・・・」と彼。たった今、その山に登って来た旨を伝えると、その彼が手を叩いて笑い、喜んだ。庚申碑、「四社山神」の碑を路傍に見ながら、826P西から南へ里の道をひたすらのんびりと歩いた。
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鉄塔56へ。
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新野側が伐採された1070mコブから新野の家並みと田畑。上部中央は茶臼山。
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同上ポイントから千本立。
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同上ポイントから丸山(左手前)、蛇峠山。
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山頂からの南東尾根、1070mコブから南アルプスへと展望が広がる。手前は天ヶ森、鬼ヶ城へと続く尾根。上部右に熊伏山。その左奥に深南部。
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その画像をアップ。最奥は、右から上河内岳、聖岳、兎岳、赤石岳、荒川岳。手前は、右から戸倉山、王城、黒石岳、林道千遠線。
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帰路。明るい雑木林の中を大村へ。

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