戸口山 1026M 3等 佐久間(中部) 山系・茶臼山>白倉山 1999.7.18.

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佐久間小和屋豆こぼしトンネル東口から、天竜川対岸に戸口山。


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起点(広域基幹林道佐久間線開通記念碑)・815>900・佐久間東幹線鉄塔7・917>955・鉄塔8・1020>1050・鉄塔9(戸口山西峰)・1115>1130・戸口山1026.2M・1135>1140・山頂、東峰間の鞍部・1335>1340・戸口山1026.2M>1355・鉄塔9・1410>1453・鉄塔7・1510>1530・起点


 天竜川が伊那谷を出ると、峡谷となって南流するが、それを佐久間ダムの下流で一旦東流させているのが、尾根続き南の樫山、白倉山とともに一大山塊を形成している戸口山である。これを回り込んで、遠州灘へと向けて再び南流する天竜川の対岸には、竜頭山、秋葉山と続く、南アルプス南端の一大山脈が並行しているが、戸口山は、設楽山脈が分派した尾根にあり、中央アルプスに属する山である。戸口山の山中には、林道、送電線が縦横無尽に走っているが、これは、明治期、「治山治水の父」と呼ばれた金原明善の指導によって、この付近一帯が、徹底的に植林されたからであるし、麓にわが国有数の佐久間ダムがあるからである。
 この山は、この山が北西麓の半場へと分派した尾根と、北東麓の戸口を起点とする広域基幹林道佐久間線の出合を起点に、この半場からの尾根で往復した。
 中部(なかっぺ)、佐久間と抜けると、間もなく西渡。ここは、かつて南塩の集荷場として大いに賑わった「港町」で、いまだにその名残を町並みに留めていた。かつてはこの北に鉱山まで抱え、あまりの賑わい振りに、双葉山率いる大相撲までやって来たという。そんな西渡の賑わい振りも、今は昔。天竜川に架かる赤い鉄橋戸口橋が、時代の変遷を物語っていた。この橋を渡り、戸口を抜けて北面を延々と巻き登ると、841P,524Pを結ぶ尾根で半場からの林道が、右から出合った。ここに林道開通記念碑。ここから登ることにした。
 送電線の巡視路で尾根を南に登ると、すぐ送電鉄塔に出て、巡視路が右に尾根を離れた。学校から遠足に来るのか、行く手の尾根入り口に立て看板「佐久間中学」。脇から出ている山道に入ってヒノキ林の中を登ると、林床をアセビの稚樹が覆うようになり、そのうちこれが消褪すると、別の送電線の巡視路が、西側から出合った。これを辿ると鉄塔7は、日本ヶ塚山、離山、矢岳山の展望地。送電線下の伐採地の暑苦しい巡視路を辿り、植林に入って841Pを左から巻くと、和佐間から樫山の西山腹を巻いて来た林道を横断し、さらに展望が広がって鉄塔8に着いた。
 少し上方からシャラ、イヌシデ等の自然林となると、珍しく巨岩が現れて、別の山に紛れ込んだかのよう・・・。鉄塔9は、西峰とでも呼ぶべきピークにあり、山頂が指呼の間に迫っていた。展望は、ほぼ360度。南で樫山が、手招きして呼んでいた。
 東の鞍部には反射板。ここで南へ下る巡視路から離れ、尾根線に山道を辿ると、落ち葉の林床のブナ、カエデ、リョウブ等々、自然林の中を一段登って、三角点に着いた。展望がないので尾根を東に入り、微かな踏み跡を辿って下ると、鞍部で北面が皆伐地となって、大きく展望が広がった。遥か眼下に蛇行する天竜川。対岸には、そこから一気に立ち上がった愛宕山。そして奥に矢岳山。左手には、峨々たる山稜の離山。その奥に、肩を怒らせた日本ヶ塚山。目を転ずれば、水窪川左岸には、井戸口山、大洞山、常光寺山。この奥行きのある稀有の展望が、「この山に来てよかったな・・・」と、しみじみ思わせた。低山からの展望の多くが、送電鉄塔、反射板、伐採地からのものであるが、それを「皮肉にも、ここから展望が得られた」と、自然派ぶって言うのはどうかな・・・。また、「展望がなくても、達成感があれば十分だ」、と言うのも本当かなあ・・・。達成感は、こちら側にあるのではなく、そこに、風景の背後から透かし彫りのように、浮かび上がって来るのではないか。主体は、まなざしとなって、世界へと投射されるものである。こちら側には、何もない。こちら側から聞こえて来るのは、心臓の鼓動と、寄せては返す波のような、静かな呼吸のざわめきだけだ。
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鉄塔7付近から、戸口山本峰と西峰(右)。
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鉄塔8から西峰へ。
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鉄塔9北西の林。
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同上。
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戸口山山頂の佇まい。
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山頂東の鞍部から、北に大きく開け、天竜川の対岸に愛宕山(右手前)、矢岳山。

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