深谷岩山(夕立岩) 699M 3等 田口(三河本郷) 山系・茶臼山>明神山 1998.1.15.

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2004.2.15.、茅野峠頂上、虎ぞん沢山山頂間から深谷岩山。上部右端が夕立岩。その左端が山頂で、その手前が南沢入山(710mコブ)。


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起点(上深谷最奥人家奥の物置小屋)・1300>1350・東栄、鳳来境界600mの鞍部>1420・夕立岩・1530>1535・深谷岩山699.4M・1540>1615・起点


 深谷岩山は、設楽山地の盟主明神山が、池場へと向けて南東へ分派した尾根にある。その東尾根に夕立岩があることから、地元深谷ではこれを単に岩山と称しているが、明神山が中設楽へと向けて北へ分派した尾根にも大岩があって、それを地元尾籠では、やはり単に岩山と称しているので、それぞれ深谷岩山、尾籠岩山と麓の集落名を冠して区別した。
 この山は、深谷川を遡り、上深谷の最奥人家のそのまた奥の、物置小屋を起点になお深谷川を源頭鞍部まで遡り、東栄、鳳来の境界尾根を伝って往復した。出発が13時と遅くなったのは、この山の前に土岐市最高峰の曽良山を、風雨の中で往復したからである。
 掘立小屋の庇の下で身支度を済ませると、雨がシトシトと降る中、深谷川の流れに沿って林道を歩き始めた。100mも行くと、目の前に堰堤が現れ、広場となって林道が終わっていた。片隅に、同じような掘立小屋。
 堰堤は右から越し、右からの支沢を丸木橋で渡ると、いよいよ山道となったが、雨に雪が交るようになった。そのうち巨岩点在するヒノキ林の中に入ると、樹間にオーバーハングした岩峰が覗き、胸の高鳴りを抑えるのが難しくなった。これは、果たして恐怖からか、それとも期待からか・・・。勾配が強まると、至る所で水飛沫を上げて、水流が出現。うす暗い植林の中、夥しい数の水流だけが、白く浮かび上がっていた。雨降りにだけ出現する、異様な光景であった。そのうち何条かは本来の沢なのか、岩を噛み、乗り越え、迂回し、小滝を架け、凄まじい形相であった。本流は、増水していて、渡渉点を探さねばならなかった。間もなく三つ目の掘立小屋が現れると、谷が大きく右へ曲がって巨岩が消え、ヒノキ間伐林の中、雷光形を切って登ると、鞍部へ東栄、鳳来の境界に出た。
 雪道を右に入り、連続するコブをいずれも左から巻くと、足元に「日露戦役記念林」の石碑。目の前にはビッシリと雪が貼り付いた、仰ぎ見るような急斜面が迫っていた。ここは所々で木立ちを頼りに北へ攀じ登ったが、どうやら西側は崖のよう・・・。登り詰め、北東になだらかな尾根を辿ると、僅か先のコブがどうやら山頂のようであったが、それは帰路に立ち寄ることにして、左山で巻いて、夕立岩へと向かった。
 すると東尾根は、一転してホソバシャクナゲ、アセビ等、常緑樹主体の自然林となった痩せ尾根。コブを連続して二つ掠めると、樹林が切れて、岩盤上に出た。その先は、大岩壁となって奈落の底へと落ちていて、目も眩むような高度感。夕立岩であった。一角には小さな石祠。傍らの木立ちには、鎖で吊り下げられた鐘。雨は知らぬ間に止んでいて、虚空に激しく霧が流れ、そこに沢音が交っていた。岩陰で風を避け、遅い昼食を摂っていると、いよいよ雲がちぎれ、山々がまるで島々のように、雲海に浮かび上がって来た。その海岸線は、まるであのリアス式海岸のよう・・・。
 帰路、東尾根を登り返すと、登り詰めた所に3等三角点奈根が埋まっており、道がなお、境界尾根に延びていた。
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夕立岩を少し下った所から見上げる。
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誰が架けたか、夕立岩の鐘。2003.7.27.、上深谷から明神山へ向かった時に再訪したが、もうこの鐘はなかった。
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夕立岩から北東の眺め。
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夕立岩から来し方。左は境界線がV字形に折れ曲がる710mコブ(南沢入山)。右手前のコブとの間の谷が往路。
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こんな日に、夕立岩に登った者のみが眺め得る南沢入山(710mコブ)。
 
 

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