船着山 427M 3等 三河大野(三河富岡) 山系・茶臼山>白倉山 2004.12.26.

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船着山山頂の佇まい。


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起点(西竹ノ輪清瀧不動明王南東約100m)・851>1000・450P北東鞍部・1012>1032・常寒山山頂(480m)・1042>1200・松山峠頂上>1246・船着山427.0M・1440>1529・吉川登山口


 船着山は、本宮山の東、豊川の左岸にあり、かつて豊川の水運が、この山の麓で陸運となっていたことからこの名がある。
 この山は、西竹ノ輪は清瀧不動を起点に常寒山を経て登頂し、南麓の吉川へと抜けた。
 まず、下山口となる船着山の登山道起点「吉川口」(223P西)に1台車をデポし、常寒山の登山口西竹ノ輪へ。吉川峠を越して竹ノ輪に入り、東竹ノ輪、西竹ノ輪を分ける車道を谷左岸に辿ると、間もなくその谷を渡った所(220m地点)にもう1台の車をデポ。ここが起点。
 破線が付いた谷身を登ると、間もなく左から戻って来た車道に出たが、これを横断した所に清瀧不動明王が・・・。少し車道を歩いた後に、炭焼き窯跡が散見される雑木林の中、北麓の大平とを結ぶ峠道を左山で辿ると、上部でまた左から戻って来た車道に出てしまったが、なお左山で辿ると、間もなく地藏が佇む450P北東鞍部で稜線に出た。ここで車道が三分。一つは大平へ、他の二つは常寒山へと向かっていた。
 ここは尾根を北側から巻くものに入ると、450P西側で尾根に戻ったが、南側を巻くものが、尾根線下方に並行した。ヒノキ林の中、起伏ある尾根を行くと、やがて鳥居を潜った先で大広場に出た。北の隅に、「御嶽神社」、「浅間神社」、「金比羅神社」と石碑三つ。どうやらここが常寒山の山頂であった。
 ここからは藪山。とは言え、藪はなさそうだ・・・。ヒノキ林の中を下ると、吉川峠頂上からの境界尾根が出合う467Pには、「吉川村」の文字が見える石祠。西へ下ると、380mの鞍部には「一本松」の標柱が立ち、右後方へ「鳶ヶ巣」への道が分派。吉川側が雑木林となると、330m鞍部には「酒飲み場」の標柱が立ち、352Pは右から巻いて、315mでまた鞍部となると、ここには「込山→」の標柱が立っていたが、矢印の先は、どうやら巻いてしまった352Pのようであった。
 尾根を北に分けた先で登り勾配が出ると、また標柱。ここには「おすの沢」、「右松山越え」、「石土谷」、「鳶ヶ巣」と四種類。大きな360mコブを越すと、335mの鞍部が松山峠の頂上で、案内標柱が立ち、市川、吉川方面ともに、明瞭な峠道が越えていた。
 吉川側が雑木林となった尾根を登ると、途中からまたヒノキ林の中となり、415mの小広場で吉川口へと下る帰路を分けると、僅か先で明るい草地となった船着山の山頂となった。西尾根、北尾根からも明瞭な道が出合っており、北尾根僅か下方には「宮比羅(くびら)岩」。この大岩の基部には、横たわるように小さな石仏があった。山頂で忘年会。途中、二人組のチャリダーが登って来て、賑わしくなった。
 帰路は、415mの小広場まで戻り、ヒノキ林の中に草付きの登山道が延びる南尾根を下ると、300m辺りからはクヌギ、イヌシデ等の雑木林。245mで道が二分すると、尾根を離れて東へ下り、ヒノキ林の中で集落跡を通り抜けると、「吉川口」に出た。
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大平、竹ノ輪を結んだ峠の頂上には地蔵が佇む。
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常寒山へ。
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案内板が立つ松山越え。
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船着山山頂から富幕山(左奥)。
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山頂北の宮比羅(びくら)。その基部に小さな石仏。
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その石仏。
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吉川口へと南尾根を下る。

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