桜平 1007M 3等 中津川(美濃焼山) 山系・恵那山>焼山 2018.12.2.

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青空が近づくと、源頭も近づく。


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起点(飯田洞宇連八王子神社)・945>1011・710m地点(「中垣福造雑木境」赤青ダブルテープ)・1022>1033・760mコブ・1037>1051・807P>1108・790m鞍部・1111>1119・810mの二又(岩名沢林道屈曲点)・1121>1213・3等三角点桜平1007.2M・1221>1228・950m地点(昼食)・1309>1335・岩名沢林道終点(檻)>1417・桧谷出合(水門)>1430・起点


 桜平は、美濃焼山が阿岳を経て、飯田洞川と阿岳本谷を分けるように南西に分派した尾根にある、地図上無名の山である。その南東麓には飯田洞最奥の村、ホコロ沢から出て来て住み着いた木地師の村間野があり、桜平を源頭に南西に流下する岩名沢と飯田洞川の出合には、本来なら最奥の集落に冠せられる名である宇連がある。
 えみちゃんから教わった(間野のかかりから桜平を往復)この山は、宇連の東端、八王子神社を起点に北に尾根に取り付き、807Pの先、800mコブを越した先の桧谷源頭鞍部で岩名沢を右岸へ渡ると、林道を北上した先の二又で入渓して登頂。帰路は、岩名沢左岸尾尾根を下って岩名沢林道の終点に出ると、なおそのまま桧谷右岸の尾根を下って用水路の水門脇から上矢作13号線に出た。
 断って、 中垣福造さん宅南の大広場にピッカピカの新車を停めさせてもらい、石碑「西国三十三ヶ所」、観音像等、並ぶ前を通って神楽殿から山手に登ると、社殿脇に安政四年造立の馬頭観音像。この脇から斜面状の急な尾根をスギ、ヒノキ林の中に急登すると、やがてマスプロアンテナが3本連続した先で、西から尾根が出合う760mコブ。
 807P前後は岩名沢側が自然林。棚状の800mコブから北北東の鞍部へと向けて下りとなると、にわかに自然林のやせ尾根となって、790mの鞍部に立つと、南東、飯田洞の対岸に高々と大船山が巨大なシルエット。眼下すぐそこに近づいた岩名沢を北へ渡って林道に出ると、これを北上し、わずか先の810m地点、林道屈曲点の二又で岩名沢右又に入り、谷が東北東から北東へと向いて全面自然林となると、谷身に降り立った。谷がさらに北へ、北東へと向くと、870mの二又で「この尾根を登りたい!」と、(毎度のことだが)美奈子ちゃんが主張。
 ここでパーティーを分割すると、彼女は等高線が詰まった美しい尾根を北北東へ、北へと登って稜線に出たが、ぼくたち二人は、なお谷を北東へと遡った。知らぬ間に水流が消えており、もはや沢と呼ぶよりもサコ状で、見回すと、滑らかな落ち葉の林床が、もう空に届かんばかりに広がっていた。嬉々として登り、最後の二又で谷を二分する斜面状の尾根を、ブナの木立を躱しつつ、紆余曲折して登ると、990mの棚状のコブで稜線に出た。東、山頂から美奈子ちゃんがぼくたちを呼ぶ声。
 山頂は、北西樹間に焼山が望まれたが、植林が多くてつまらなく、即下山を開始。尾根を南に入り、直後にえみちゃんルートを南東尾根に分けると、全面自然林の尾根を西南西に下った950m地点で昼食。北眼下、目と鼻の先には、ぼくたちが往路で辿った楽しい谷。
 帰路はそのまま岩名沢左岸尾根を下り、910mで尾根が南と西に二分する所を後者に入ると、崩谷左又側がヒノキ林となって岩名沢林道の終点に出た。
 なお尾根を南進すると、西桧谷側が自然林、東崩谷左又側がヒノキ林。やがて全面ヒノキ林となると、750m地点で尾根が二分。左はそのまま全面ヒノキ林。
 ここは右に入って全面自然林の中を南南西に中急下降すると、660m辺りからスギ、ヒノキ林となり、640m辺りからは間伐材やらが散乱し、消耗する下降となった。二又で谷身に降り立つと、櫓状に間伐材。酷く消耗して、水門脇から上矢作13号線に跳び出した。当初の計画で帰路は、崩谷右又左岸尾根であったのに・・・と愚痴を零し合い、よれよれと車道を帰った。
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八王子神社参道起点辺りから来し方、飯田洞川が流れ行く方を眺める。
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八王子神社へ。
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石碑、石仏等の前を通って神楽殿へ。
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790m鞍部へ。
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その790m鞍部。背後は、大船山のシルエット。
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岩名沢源流部を行く。
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パーティーを分割してなお谷を行く。
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谷に日が差すと、汗ばんでくる。
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最後の二又で谷を二分する尾根に取り付く。
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尾根に絡んで紆余曲折して登る。
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帰路。昼食ポイントへ。
 

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