尾籠岩山 700M 田口(三河本郷) 山系・茶臼山>明神山 1997.12.7.

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2002.2.10.、御殿川対岸の花丸から尾籠岩山。


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起点(尾籠六社神社)・755>835・680P南西鞍部>930・尾籠岩山700mコブ・1000>1040・起点


 尾籠岩山は、中設楽は尾籠の裏山で、設楽山地の盟主明神山が、北に分派した尾根にある。明神山が南東に分派した尾根、三輪は深谷の裏山にも岩山(夕立岩)があるので、それを深谷岩山と呼び、これを尾籠岩山と呼んで区別した。
 この山は、この山の北東麓、高台に開けた尾籠から谷沿いを西に登り、680P南西の鞍部で尾根に出ると、これを南東に辿って往復した。
 朝起きると、まだ暗かった。雨がシトシト降る中、水飛沫を上げて岩村から南下すると、納庫(なくら)から田口へと大下りする頃、漸く雨が上がり、大田口から堤石峠をトンネルで潜ると、空はさらに明るくなったが、明神山はまだ雲の中。御殿川沿いを下って中設楽に出ると、早朝なのに大勢の人が出て、なにやら忙しそう。訊くと、どうやら花祭りの準備のよう・・・。この花祭りは、五穀豊穣を願って行われる霜月神楽の一種で、冬至の前後、夜を徹して行われるが、熊野の山伏や白山の聖によって天竜川水系のこの地に伝えられて以来、700年有余に亘って継承されている、神に捧げ、神と舞う奇祭である。
 そこで忙しそうにしている消防団員に道を訊いて、尾籠に入ると、そこは中設楽の町から隔絶された静かな里であった。この里の北、一番高い所に六社神社。ここが起点。
 身支度を始めると、シトシトと雨が降り出した。窺うと、雨のスリット越しに大岩壁。どうやらそれが、目的の岩山のよう・・・。雨が止むのを待ち切れず、痺れを切らして歩き始めた。少し南西に進むと、つまり少し戻ると、人家の角で西に道が分派。これに入ると、この人家の西の角、足元に「岩山」の標識。これに従って、この人家沿いに北進して、田圃の中を歩いていると、近所の家の小窓がガラッと開いて、「どこ行くんや!」と、歯磨きをしながら家人。「岩山ですが・・・」とぼくたち。「そっちやない、あっちや!」と彼。北進ではなくて、そのまま西進すれば良かったのであった。
 間もなく里からスギ林に入ると、道が二分。ここは多分、右へ。右山で右を行くと、現役の炭焼き窯。サコを登るようになると、勾配が強まり、雷光形を切ってひとしきり登ると、明るくなって、680P南西の鞍部に出た。ここにNHKのアンテナ。雨が知らぬ間に止んでいた。
 尾根を左に入ると、道が二分。右山で巻き登る道を分け、尾根を直登する道を行くと、登り詰めた所でまた道が二分。右、南西に破線の道を分け、左、南東に続く尾根に入ると、下方で分けた巻き道が左後方から出合った。間もなく右、柿野川側が伐採地となると、右へと湾曲した尾根の先に、目的の岩峰が現れた。霧が柿野川の谷から湧き上がり、その岩峰に纏わりついて蠢く様は、モノクロの諧調が美しい墨絵の世界であった。
 道はここから尾根線直下、右側を巻いていたが、どうやら尾根線の向こう側は、大岩壁のよう・・・。途中、尾根に乗ってみると、スラブ。向こう側が足元からスパッと切れ落ちていて、眩暈がするような高度感。足元に尾籠の里が、箱庭のよう・・・。目の前には、広大無辺な空と雲。まるで雲にでも乗っているかのようであった。視界を閉ざしていた白い霧が霧散すると、谷という谷に霧が沈殿し、黄泉の世界があるならば、まさにこれがそうだと思わせる、夢幻の世界が出現した。山々は、まるで雲海に浮かぶ島々のよう・・・。霧は沈み込み、あるいはトクトクと溢れ出し、またあるいは棚引く雲となったりして、ぼくたちの目の前で刻々と移ろっていた。スラブが終わると、道が右山で巻いていた。山手の路傍に三体の石仏を見て尾根に乗ると、中、低木のみが散在するこじんまりとした山頂となった。粘ってみたが、すぐそこ、柿野川対岸の明神山は、ついに姿を顕わさなかった。
 下山すると、振草の古戸山に登ったが、これは全山植林で覆われ、、かなりつまらない山であった。
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六社神社から岩山。
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2003.7.27.、同上ポイントから岩山。
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680P南西鞍部から稜線に出ると、右へ湾曲した尾根の先に岩山。
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稜線上のスラブから、中設楽側を望む。
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同上ポイントから、北東眼下に箱庭のような尾籠。
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同上ポイントから南東を望む。
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その拡大。同定を怠ったので、今となっては、この山がなんなのか、分からない。
 

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